ビートたけしも通った!?「つくし」の女将さんが浅草を語る


浅草もさびれた頃はあった・・・変えていくことで活気が戻ったのよ

私は二十歳の頃からもんじゃ焼屋をやっているけど、はじめた頃は今の店じゃなくて3畳間の狭いところで、鉄板も1台しか置けなかった。それでもお客さんが 並んで食べに来てくれた。あの頃はこの町も大賑わいだったけれど、それから一時、人通りがガクンと減っちゃって、平日なんかだと、うちの前の通りは地元の 人しか歩いていないようになっちゃった。
「これじゃぁいけない」と言うんで、この辺りのみんなが協力して、「フラワー通り」が出来たり、「WINS浅草」が出来た。そのおかげで、また人通りも増えてきたのよ。
この店の周りは以前、洋服屋ばかり並んでいたけれど、繊維関係が下火になってきちゃって、今はこの通り、飲食店が軒を並べるようになった。浅草寺の参拝帰 りのお客さんやWINS浅草へ行ったお客さん がこの辺の店へ食べに来てくれるようになったのよ。海外からのお客さんも来てくれるし、人力車の人たちもありがたいことに、うちの店を紹介してくれるから 観光客さんや修学旅行生さんもよく来てくれる。
そういえば「国際通り」も国際劇場があったからそう呼ばれるようになったけれど、今じゃビューホテルに変わったんで、「ビートストリート」に名前を変えたのよ。「ビート」というのは北野武さんからとったワケよ。

情のある人、気さくな人・・・江戸っ子はおもしろい人が多いよ

江戸っ子と言うか浅草っ子は情に厚くて温かみのある人ばかりだよ。気さくな人も多いし。
こっちが気さくだからと思って、この前も外人さんがうちの店に来てくれたのはいいけれど、「トイレを貸してくれ」って言うわけ。どうぞと言って案内してあげたら、トイレから出た後、そのまま帰っちゃうの。
「チップの10円でも置いてけ」って言うんだよ。
ほかにもうちの店の奥で昼寝していくお客さんもいたり、おもしろいよねぇ。 私も上品な言葉づかいをしようとすればできなくもないけれど、そのうち「べらんめぃ調」になってきちゃう。
気さくでそそっかしいところや図々しいところがお互いあって、この辺の人はおもしろいヨ。

もんじゃ、お好み焼40年!たくさんのお客さんとこれからも・・

先にも言ったけれど最初は3畳の狭い店ではじめたのよ。鉄板は1台だけだから席につけるのは6人だけ。だけど、焼くのは私だから実際には5人しか座ってもらえない。後から後からお客さんが並んでくれるから、 ドンドン私が焼いていくわけ。
こうして40年以上続けてきたけれど、もんじゃもお店によってイロイロだね。 もやしを入れる店、入れない店。生地にソースが入っている店、入ってない店。もんじゃはうっすらお焦げができた頃に後を引いて、もう一枚!ってことにな る。そういうもんじゃを食べさせるお店がいいお店だね。

お客さんもイロイロで、もんじゃを食べるのが上手なお客さんは食べ終わったときの鉄板の上がキレイ!素人のお客さんだと一番おいしい"せんべい"を黒焦げにして残していっちゃう。
うちのメニューで「つくしもんじゃ」がこの店だけのオリジナル。人気があるのは昔からやってる「五目もんじゃ」それからチーズ、スジもんじゃは関西の人や 九州の人がおいしいと言ってくれる。遠くから来てくれる常連さんもできたわよ。それから、この店は場所柄、フランス座・演芸ホールに近いせいか、芸人さん もひいきにしてもらってるのよ。

北 野武さんは今でも馴染みにしてもらってる。彼が昔、フランス座で前座をしていた頃から知ってるよ。師匠の深見千三郎さんが、ここをひいきにしてくれてたか ら、武さんも一緒に付いてきて、ここで食べていったり、私がフランス座へ出前を持っていったり。すると武さんがエレベーターボーイをしていて・・・ホント にあの人が苦労してた頃を私は見てるからねぇ。

あと、中井貴一さんも来てくれたことがあって、彼は私の息子に顔が 似ているの よ。それで私は中井さんに「うちの息子にそっくりですね」って言ったら、ちょっとムッとした顔で「逆でしょ!ボクに似てるんでしょ。息子さんが」だって (笑)。あの後、中井さんがうちの石焼ビビンバを「ボクの忘れられない味」といって紹介してもらった時はうれしかったよ。これからもイロイロなお客さんに 来てもらえる店にしたいね。

小粋ちゃん
まだ有名でなかった頃の北野武さんが、フランス座からこの小路を通って「つくし」へ行ったそうです。これからも浅草は、細い路を通り、やがて大通りを闊歩するビッグな芸人を生むことでしょう。今回で「江戸っ子・浅草を語る」のコーナーは終了します。
また、別の企画で「浅草」や「江戸っ子」の雰囲気を紹介させていただきます。ご期待ください。
路地画像